山村良勝 Yamamura Yoshikatsu

山村良勝 Yamamura Yoshikatsu山村良勝 Yamamura Yoshikatsu(1563年-1634年)

山村良候の子,室は遠山友忠の娘。弟妹に千村良重室、千村重照室、山村三得(尾張藩家臣)、山村一生(一成、尾張藩家臣)、千村重次室、山室倹校、山村良士。幼名は十三郎。通称は甚兵衛。法号は用斎。

はじめ父と共に木曾義昌に仕え、その没後は木曾義利に仕えた。しかし義利が不行状により改易されると徳川家康の家臣となる。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に属した。木曾にあって同じく東軍に属した父.良候が西軍の石川貞清に敗れて犬山城に拘禁されると、良勝は木曾の国人を率いて犬山城攻めに加わり、武功を挙げて父を救出する。慶長7年(1602年)に父が死去すると、家督を継いで5700石の領主となった。

幕藩体制下で木曾は尾張藩の所領となったため、良勝は徳川義直に仕えて2代目木曾代官に任じられた。慶長13年(1608年)、子の良安に家督を譲って隠居する。慶長18年(1613年)に大久保長安事件が起こると、奉行仲間だった大久保長安の関係者として逮捕されているが、後に許された。

大坂の役では徳川義直に従って両陣とも出陣した。後に子の良安が早世したため、再び家督を継いで義直に再出仕している。

寛永11年(1634年)に死去。享年72。墓所は長野県木曽町興禅寺。戒名は宗用。

出處 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9D%91%E8%89%AF%E5%8B%9D