遠山友忠 Tooyama Tomotada

遠山友忠 Tooyama Tomotada遠山友忠 Tooyama Tomotada(生年不詳-沒年不詳)

父遠山友勝の跡を継いで飯羽間城主、阿照城主を経て、苗木城主となる。室は織田信長の姪4

織田氏に従い、元亀3年(1572年)に武田信玄が西上作戦を開始すると、その命令で東美濃国に侵攻してきた秋山虎繁(信友)と戦っている(上村合戦)。

本家筋の岩村遠山氏が、甲斐武田氏に降伏したのちも織田氏方に留まり、のちに岩村遠山氏が滅ぼされると、織田家重臣の河尻秀隆の指揮下に入り武田氏に抵抗を続け、武田氏が長篠の戦いで敗れ、秋山信友が処刑され東美濃において影響力を失うまでの間、苗木城は一度も落とされること無く持ちこたえた。また、天正10年(1582年)の甲州征伐の契機となった木曾義昌の内応を織田信忠に取り次いだのは友忠とされ4、以後も武田攻めでは木曾軍と共に武田勢と戦っている。

信長死後の天正11年(1583年)、羽柴秀吉織田信孝が対立しはじめると、秀吉から美濃金山城主の森長可の指揮下に入るよう命令されるが、これを拒絶。徳川氏の支援を受け森長可と東美濃の覇権をめぐって争ったが敗北し、子の友政と共に徳川家康を頼って落ち延びた。以後は徳川氏の家臣である菅沼定利のもとに身を寄せ、そのまま死去したという4

武田勝頼室(遠山夫人)の実父を、遠山直廉や友勝とともに、友忠に比定する説がある。

出處 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E5%B1%B1%E5%8F%8B%E5%BF%A0