十市遠勝 Tochi Tookatsu

十市遠勝 Tochi Tookatsu十市遠勝 Tochi Tookatsu(生年不詳-1569年)

1545年(天文14年)、父遠忠が亡くなると家督を継いだが若年ということもあって、父の代から争っていた筒井氏の侵入を許した。

1546年(天文15年)8月20日、十市衆を率い、竹内城を攻めて敗れ、吉野に落ち、その与党も柳本に退いた。

1559年(永禄2年)、三好長慶の重臣松永久秀が大和国に侵攻。松永方に対して多武峰などの要所で抵抗戦を展開した。

1562年(永禄5年)、畠山高政に属して三好実休を攻略し、和泉国久米田で破って(久米田の戦い)高屋城を奪取した。同年5月、畠山方として教興寺の戦いに参戦するが敗れて湯川直光らが討死している。松永方に抵抗していたが、ついに松永方に降り、娘のおなへ(御料)と重臣大木重介の子息を人質として多聞山城に送り、からくもその旧領を維持する。

1567年(永禄10年)10月10日、東大寺大仏殿の戦いを切っ掛けに三好三人衆と松永久秀が対立し、遠勝は三好方となったため、家中が内部分裂する。

1568年(永禄11年)2月20日、森屋城の秋山直国を攻略して落とす。3月12日、今井の河合清長の居宅で三好三人衆の三好長逸、篠原長房と誓紙を取り交わす。しかし、8月27日、松永久秀に通じた秋山氏の反撃を許して龍王山城から十市城へ退去した。9月、箸尾氏も松永に組し、秋山と策応して十市領の蚕食を企てた。10月に入って、久秀は信長の援軍2000人を得、ますます攻略にあたった。筒井.十市の連合軍は諸城をつらねてこれに対抗したが、一城また一城と相次いでおとされ、11月には、十市衆のまもった大西城も、秋山勢を先鋒とする松永久通に降った。十市家にその者ありと知られた森本主水介.中井才三郎など屈強の者どもが討ち死にしたのはこの時である。遠勝も遂にその勢いに対抗し切れず、再度久秀に内応することにいたった。

1569年(永禄12年)10月24日、病死。

出處 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%B8%82%E9%81%A0%E5%8B%9D