種子島時尭 Tanegashima Tokitaka

種子島時尭 Tanegashima Tokitaka種子島時尭 Tanegashima Tokitaka(1528年-1579年)

父:種子島恵時、母:島津忠興の女、正室:にし(島津忠良の女)、側室:禰寝尊重の女、黒木道統の女;幼名犬楠丸,改名直時、時堯、法号可釣,別名左兵衛尉、左近衛将監。

『鉄炮記』によると、天文12年(1543年)、ポルトガル商人が乗った明船が種子島に漂着した。好奇心旺盛な数え年16歳の時堯は、この時鉄炮の威力を見て2挺を購入。鍛冶職人八板金兵衛に命じて、鉄炮を分解させて調べさせ、鉄炮製造に成功した(もう一挺は島津氏を通して、室町幕府将軍足利義晴に献上)。これにちなんで、鉄炮は種子島銃とも呼ばれ、戦国時代に大きな影響を及ぼす事になった。なお文書には、この時のやり取りで主に時堯の名が見られることから、これ以前に父.恵時から実質的な家督継承が行われていたようである。

また時堯は、島津忠良の娘を娶り、弘治元年(1555年)には島津貴久に従い大隅国攻めに参加した。正室との間には2人の娘を儲けた。特に次女の妙蓮夫人(円信院殿)は、貴久の嫡男.義久に後妻として嫁いだ。その一方で、島津氏と争っていた禰寝氏からも姫を密かに迎えて側室にし、男子が生まれたのをひた隠しにしていたが、これを知り怒った時堯夫人は、娘2人を連れて種子島を出て鹿児島に帰ってしまったという(その後、夫人は肝付兼盛に再嫁する)。この禰寝氏の娘との間に生まれたのが長男の時次で、次男の久時は黒木氏の娘との間に生まれた子である。

永禄3年(1560年)に家督を長男の時次に譲るが、永禄5年(1562年)に7歳で早世したため家督に復した。後に次男の久時が家督を継いだ。

天正7年(1579年)、死去。享年52,戒名法惟院日勝大居士。

出處 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%AE%E5%AD%90%E5%B3%B6%E6%99%82%E5%B0%AD