南条元忠 Nanjo Mototada

南条元忠 Nanjo Mototada南条元忠 Nanjo Mototada(1579年-1615年)

南条元続の子。母:吉川元春娘?(実.吉川経久妹)。幼名虎熊,別名光成、忠成、之忠。

天正19年(1591年)、父の死去に伴い家督を継ぐが少年であったため、朝鮮出兵には叔父で後見人の小鴨元清が参加した。(『羽衣石南条記』等によれば当時13歳であったという)治世についてはあまり多く伝えられていないが、家中では後見人の座を巡る争いが起こるなどの混乱が生じていた。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは西軍につき、伏見城.大津城を攻めたが、西軍が敗れ、浪人となる。

慶長19年(1614年)、大坂冬の陣では、旧臣とともに大坂入城、平野橋口で3000人の兵を与えられる。東軍の藤堂高虎の誘いを受け、伯耆一国を条件に東軍に寝返ろうとするも、渡辺糺に見破られ、城内千畳敷で切腹させられる。「裏切りの伯耆侍古畳み南条もって役にたたばや」と落首された。享年37。遺骸は小姓の佐々木吉高によって持ち帰られた。なお、従兄の宜政(よしまさ)の子孫は、600石を知行する旗本として存続した。

出處 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%9D%A1%E5%85%83%E5%BF%A0

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