村松殿 Muramatsu Dono

村松殿 Muramatsu Dono村松殿 Muramatsu Dono(1565年-1630年)

真田昌幸の長女、母は山手殿(遠山氏とも)。名は於国。弟に真田信之真田信繁らがいる。小山田茂誠の正室、子に小山田之知。

天正10年(1582年)以前に甲斐国都留郡の国衆.小山田氏の一門である小山田有誠の子.茂誠に嫁いだ(天正10年の武田氏滅亡時に之知は乳児であったと伝わる4)。この婚姻が縁で茂誠は後に昌幸の家臣となり、信之の家老となった4。また、夫.茂誠が昌幸から小県郡村松(現在の青木村)を領地として与えられ、そこに住んでいたため、村松殿と呼ばれた4

なお、『加沢記』(江戸初期に沼田藩右筆の加沢平次左衛門が記した覚書)の記述によると、昌幸が織田信長に臣従した際の人質として安土城に送られ、本能寺の変直後に行方不明となるが2年後に桑名で保護されたという4。村松殿が人質として安土へ送られたとする伝承について、丸島和洋は遠隔地での国衆(国人領主)の人質は現地で預かることが基本であり、極めて疑わしいとしている4

長姉として、信之や信繁に敬愛されていたらしく、信繁が元和元年1月24日に彼女宛てに書いた手紙が残されている4

寛永7年(1630年)6月、死去。法名は宝寿院殿残窓庭夢大姉4

出處 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E6%9D%BE%E6%AE%BF