牧野忠成 Makino Tadanari

牧野忠成 Makino Tadanari牧野忠成 Makino Tadanari(1581年-1655年)

天正9年(1581年)、三河国宝飯郡の牛久保(愛知県豊川市牛久保町)に生まれる。父に同じく徳川家康に仕え、その継嗣徳川秀忠に付属する(諱の忠成は秀忠の偏諱拝領という)。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに備え、父康成と共に徳川秀忠の軍勢に具奉して上田城の真田氏を攻める。

慶長9年(1604年)、父康成は公事を辞し大胡城に閑居。ゆえに忠成は父の職務を代理する。翌年2月29日、徳川秀忠将軍宣下につき上洛。同4月従五位下駿河守叙任。

慶長14年(1609年)12月、父康成死去につき大胡藩2万石の跡式と大胡城を継承(大胡藩第2代藩主)。

慶長19年(1614年)10月、大坂冬の陣に徳川軍五番備えにて参陣。翌年の大坂夏の陣にも四番備えにて参陣し奮戦、5月8日麾下の壮士等首級27を挙げ、大坂落城に寄与。

元和2年(1616年)春、大御所徳川家康死去。忠成は7月に越後国長峰5万石に加増移封、長峰築城。

元和4年(1618年)3月、同国長岡に6万余石に加増のうえ再転(越後長岡藩立藩)、堀直寄の居城を拡充完成し長岡城とする。

元和5年(1619年)、広島城主福島正則改易につき花房正成と共に上使を承り、江戸芝愛宕下の福島屋敷にあった正則にその旨を伝え、広島城開城を命ずる文面を正則直筆の墨付きで取る4。この年、官職名をまた右馬允とする。

元和6年(1620年)、前年の上使を首尾良く勤めた功により越後国古志郡栃尾に1万石加増4、併せて7万4千余石となる。翌年,に念無上人とともに江戸三田台町に浄土宗寺院済海寺を創建し、その開基となる。

寛永2年(1625年)10月、領地の朱印状を秀忠より発給された。

寛永7年(1630年)6月、初めて領地長岡に入る。

寛永11年(1634年)7月、徳川家光に具奉して上洛、従四位下侍従に叙任される。

承応3年(1654年)、駿河守再任。同年12月16日、江戸屋敷にて死去。享年74。

出處 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A7%E9%87%8E%E5%BF%A0%E6%88%90_(%E8%B6%8A%E5%BE%8C%E9%95%B7%E5%B2%A1%E8%97%A9%E5%88%9D%E4%BB%A3)