河野通宣 Kouno Michinobu

河野通宣 Kouno Michinobu河野通宣 Kouno Michinobu(1522年-1581年)

予州家の河野通存(みちまさ、河野通春の孫)の子と言われてきたが、近年では河野通直 (弾正少弼)の実子であったことが確認されつつある。1543年(天文12年)に当主であった兄の河野通政が早世したため、家督を継ぐこととなった。しかし若年であったため、河野通直の後見を受けることとなる。

通宣が家督を継いだ頃の河野氏は、家臣の謀反や豊後国の大友氏、土佐国の一条兼定の侵攻を受け、国内では宇都宮豊綱とも対立し、領内はまさに危機的状態にあった。重臣の村上通康や平岡房実が遠征を繰り返し、鎮圧に及んだが、もはや国内を独力でまとめる力もなかった通宣は、以前より姻戚関係であった中国地方の雄.毛利元就と従属的同盟を結び、小早川隆景を中心とする毛利軍の支援によって、土佐一条氏や伊予宇都宮氏を撃退している(毛利氏の伊予出兵)。

しかし、伊予国内への相次ぐ侵略や家臣団の離反など、内憂外患が続き心労がたたったのか、通宣は病に倒れる。嗣子が無かったため、1568年に家督を一族の河野通直(伊予守)に譲って隠居し、1581年に死去した。ただし、近年の研究によるとその死は永禄13年(1570年)頃ではないかとも言われる。

出處 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E9%80%9A%E5%AE%A3_(%E5%B7%A6%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%A4%AB)

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