稲富祐直 Inatomi Sukenao

稲富祐直 Inatomi Sukenao稲富祐直 Inatomi Sukenao(1552年-1611年)

稲富流砲術の開祖。丹後国弓木城主。

祖父.稲富祐秀から砲術を学び、それを発展させて稲富流砲術を創始したといわれている。合戦の際に具足を2枚重ねて着ていたため二領具足の異名を持つ(長宗我部氏の一領具足とは関係が無い)。

はじめ丹後一色氏に仕え、主家が滅ぶと細川忠興に仕えた。慶長2年(1597年)、慶長の役では蔚山倭城に籠もって活躍したという。同5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいては、細川氏の大坂屋敷に居て、忠興の妻である細川ガラシャの警護をしていたが、ガラシャが石田三成の人質作戦に巻き込まれて死去すると、自身は砲術の弟子に助けられて屋敷から逃亡したという。そのため戦後に忠興から恨まれて殺されそうになったが、徳川家康にその砲術の腕と知識を惜しまれて助命された。

その後は、松平忠吉徳川義直に仕えたという。後に剃髪して一夢、理斎と号した。井伊直政黒田長政、浅野幸長なども指南を受けた。しかし加藤清正からは売名家として非難されている。

慶長16年(1611年)に死去。子がいなかったために、実姉の子稲富秀明を養嗣子としたが、正保年間に死去したため、秀明の弟秀隆が跡を継いだ。

出處 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E5%AF%8C%E7%A5%90%E7%9B%B4