蒲生忠郷 Gamo Tadasato

蒲生忠郷 Gamo Tadasato蒲生忠郷 Gamo Tadasato(1602年-1627年)

蒲生秀行の長男。母は徳川家康の三女.振姫。正室は藤堂高虎の娘。官位は従三位参議、下野守。幼名亀千代。4

慶長17年(1612年)5月、父の秀行が死去したために10歳で会津60万石を継ぐ。9月、弟鶴千代(のちの忠知)と共に家康によって元服、松平姓と将軍徳川秀忠の偏諱を与えられ、また祖父.蒲生氏郷より1字を取って松平忠郷蒲生忠郷)と称した。4 しかし、未だ若年であったため母振姫の後見を受けた。

母振姫の勘気による仕置、家老岡重政の死罪、祖父.氏郷の時代から弟.忠知の時代まで続いた重臣間の抗争など家中は安定しなかった。そのためか慶長20年(1615年)の大坂の陣においては江戸留守居を命じられる。

治世においては会津若松城の天守を五層に改築する、恵隆寺の再建を援助する、領内の飢饉に際して餅.酒.豆腐の製造禁止令を出すなどの事跡が伝わる。

元和5年(1619年)、正室に藤堂高虎の娘を迎える。元和9年(1623年)侍従に任官する。寛永元年(1624年)には江戸藩邸に大御所秀忠と将軍家光の御成を迎えた。この間も重臣層の抗争、訴訟は続いていたが閨閥のゆえにか大事に至らず、寛永3年(1626年)、後水尾天皇の二条城行幸に際し上洛、行幸の後、正四位下参議に昇進した。

このとき疱瘡に罹患し、翌寛永4年(1627年)1月4日没した。享年26。

出處 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E7%94%9F%E5%BF%A0%E9%83%B7