福原広俊 Fukuhara Hirotoshi

福原広俊 Fukuhara Hirotoshi福原広俊 Fukuhara Hirotoshi(1567年-1623年)

安芸毛利氏の家臣。毛利氏の一族である安芸福原氏13代当主。

永禄10年(1567年)、12代当主.福原元俊の子として誕生。祖父は11代当主.福原貞俊。子は同名の14代当主.元俊(隠岐守)など。

毛利輝元に仕え、天正19年(1591年)に家督を継承する。吉川広家と共に家中で重きをなし、朝鮮出兵に力を発揮した。関ヶ原の戦いにおいては、西軍に味方した毛利氏の断絶を防ぐため、広家.宍戸元続.益田元祥.熊谷元直と談合の上で徳川家康に内通、領国安堵の約束を取り付けたが、戦後約束は反故にされ、輝元が減封されると広俊も本領を維持できず、以後は長門吉敷の地を領した。輝元は隠居したため、嫡男で幼少の秀就を広家.益田元祥.毛利秀元と共に支えた。

江戸において江戸幕府との折衝にあたり、毛利氏の居城の場所選定を本多正信.正純父子と話し合い(結果は萩城に決定)、慶長11年(1606年)の江戸城普請を担当するなど幕府との関係維持に腐心、長州藩内部の問題解決にも尽力、萩城築城中に起きた熊谷元直粛清事件(五郎太石事件)で藩内の動揺を鎮め、藩の政策決定にも関わっている。また、大坂の陣に際して佐野道可事件が発覚すると処理に奔走、元和2年(1616年)に国許へ戻り、元和8年(1622年)に嫡男の元俊に家督を譲り隠居した。

翌9年(1623年)に死去。子孫は代々長州藩の家老を務めた。

出處 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%8E%9F%E5%BA%83%E4%BF%8A#.E7.A6.8F.E5.8E.9F.E5.BA.83.E4.BF.8A_.2813.E4.BB.A3.E5.BD.93.E4.B8.BB.29