大宝寺義増 Daihoji Yoshimasu

大宝寺義増 Daihoji Yoshimasu大宝寺義増 Daihoji Yoshimasu(1522年-1581年)

義増の周辺の系図には諸説あり、義増は大宝寺九郎の子で前当主の大宝寺晴時の従兄弟に当たる(祖父は大宝寺政氏)。ちなみに義増の別名として「晴親」(はるちか)が伝わっているが、これは晴時と同じく将軍足利義晴から1字を与えられたものとみられる。義増の「義」の字も時期的にみて義晴またはその子.義輝から賜ったものであろう。

晴時の死後、土佐林禅棟の援助により後を継いだが統率力が無く、領内では内紛が絶えなかった。そのため、元々結びつきのあった越後国の本庄繁長や仙北の小野寺景道の援助を得ることで命脈を保ったと言われている。

一時最上氏の家臣の清水氏と抗争し、永禄8年(1565年)には清水義高を合戦で討ち取り一時は村山郡に進出を果たしたものの、直ぐに上杉軍によって撤退を余儀なくされている。また、永禄11年(1568年)本庄繁長の謀反に荷担したが、上杉氏に本庄氏よりも先に軍を差し向けられるとすぐ降伏し、息子の義氏を人質として謙信に差し出し陳謝し、翌年に上杉氏によって義氏に強制的に家督を継がされると隠居(死去とも)した。天正9年(1581年)8月1日死去4

出處 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%9D%E5%AF%BA%E7%BE%A9%E5%A2%97