荒木元清 Araki Motokiyo

荒木元清 Araki Motokiyo荒木元清 Araki Motokiyo(1535年-1610年)

荒木村重の親戚の家系に生まれ、初めは村重の家臣として、花隈城主となっていた4(18,000石を領したという4)。

天正6年(1578年)10月に村重が突如、織田信長に対して反旗を翻した(有岡城の戦い)際、これに同調する。その後、劣勢となって有岡城、尼崎城(大物城)から逃れてきた村重.村次父子を花隈城に迎え入れたが、同8年(1580年)、花隈城に攻めてきた池田恒興らの攻勢に耐えきれず城は開城(花隈城の戦い)、脱出した元清は備後鞆に逃れた。

大坪流の斎藤好玄(さいとう よしはる、斎藤安芸守)より弓術を伴わない馬術を学び4、それを基にして、自身の苗字を冠した荒木流(荒木流馬術)を新たに創始したとされる4

天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が没し、羽柴秀吉が台頭すると、秀吉に昔の罪を許されて家臣に迎えられる。文禄4年(1595年)、豊臣秀次事件に連座して追放され、流罪となったが、のちに赦された。

慶長3年(1598年)の秀吉の死後は京都に隠遁し、同15年5月23日に死去(享年75)44

荒木流はその後、四男の元満(もとみつ、十左衛門)によって継承された。

出處 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E6%9C%A8%E5%85%83%E6%B8%85